桜川冴子

さくらがわさえこです。
歌人(現代歌人協会会員)。中高教師を経て私立大学准教授。
2019年度より放送大学(対面授業)非常勤講師。
馬場あき子に師事。
福岡市文学賞選考委員、太宰府天満宮短歌大会、桧原桜賞(短歌賞)、福岡女学院短歌コンクール、福岡県医師会歌壇、その他の選考委員、選者を務める。2020年より筑紫歌壇賞(前年度に出版された全国の60歳以上の第1歌集が対象)の選考委員。福岡文化連盟理事。
全国国語国文学会会員。全国表現学会会員。全国大学国語教育学会会員。九州教育学会会員。九州教育経営学会会員。読

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☆最新歌集☆『さくらカフェ本日開店』

第5歌集。50代の6年間の歌から収めている。歌集あとがきより一部抜粋「水俣には今も家があって老母が棲んでいる。わたしの過去の水俣は今の日本に通じているのではないかと思う。また、世界では紛争や内戦があり、地球温暖化をはじめとする環境問題が深刻である。そうした世界や日本に心を痛めながら、できるだけ自分の体をくぐった地点から歌いたいと思っている。大学の研究室は一階で窓の全面に桜の樹が見える。春休みの終わり、外で桜を眺めるには肌寒く、研究室のドアに『さくらカフェ~在室のときはどうぞ』と貼っておく。すると、いろいろな人が訪ねてくる。タイトルは桜の頃の一週間限りの研究室のことである。水俣のかなしみを知るわたしは現代において苦しむ人たちの存在に敏感でありたいと思う。生きがたい現代ではある。だからこそ、苦難の中にいつか希望を見いだせることを信じ、大学のわたしの『さくらカフェ』は未来をめざす若い世代に通じる窓でありたい。」【短歌紹介】・古池や 蛙は何匹ゐるのかと言ひ合つた日々よ欠席に〇(マル)をす・気まぐれな雨に呼びとめられてゐる心見せまいと覆ふ雨合羽・水底はそんなに深くないらしい 自らに溺れることもあるのに・沈黙はひびきに似たりそこにゐない人を思ひて祈る会堂・長崎は行き止まりなる くろがねの鈍きひかりの尾骨を見つむ・野の神の手に振る鐘の音近し消(け)残る雪に春雷ひびく・みんなみんなどこかへゆけり濃き闇に手囲ひのほつ、ほうたる放つ・友の前で震えてしまつた手を闇にもぐらせてわが水俣を消す・こきざみに小旗は揺れて水俣のけふ慈雨となる皇后のほほゑみ・民草のなかに救ひのあることの近きなり遠きなり石牟礼道子・秋風の排水口に一管の笛として立つ生かされし吾は         (注)百間排水口は水俣病の爆心地と言われる・はじかれた木がひつそりと立つてをり人間の森を目を凝らし見よ・キスよりも握手せつなし手のひらのかりそめならぬ生に黙せり・ネグリジェの裸足の女が殴られてふはりと飛ぶまでを見せる終バス・あッ、雨とひとつの傘に飛び込めばいつもより濃く君が匂へり・はるかなる宇宙銀河の冷たさに耳を触れさせどこまでもゆきたし・一品の手間隙かけた小鉢ある貧しけれども授業のことなり・教科書を持つて来ぬ子に引かせをり辞書の「たほいや」「だんぎくさ」など・噓といふ噓ではないが推薦書は描くに似たり少しふくらむ・耶蘇教の学校を軍は占領し「てめえみたいな奴」を締めたり・なつかしいあなたのこゑをわが裡にひびかせて読む葉書一葉・さえざえと学生の口に斬られたる無惨なわれよ教師とも言ふ・異議を唱え己の重さに揺れてをり南天の枝の吾はひよどり・古き寮の跡地に甕棺出土せり さがしてゐる人はゐませんか・ゆふぐれの水面(みなも)を穿つ雨に遭ふ言ひさしたまま濁した言葉・褒めるのとおだてるのでは違ふなう、さうだなう、亀も頷きにけり・霞立つ花は見えねど電話より零るるこゑは深くお辞儀す・ぶらんぶらん同じに動くつり革は受身なんだなかなしい家路・ぼろぼろとこぼれて甘いメロンパンなつかし人の含羞ほどの・霧島の露天の風呂に白くゐるわが水のはじめ母なるひとは・花の名を一つ忘れて眠れない母の電話にひらく歳時記・ののさまの照る帰り道スマホよりこゑを聞きます母よおやすみ・人はなぜ桃色を恋ふたらちねの胎にさくらの一樹ありしか